バイユーのタペストリー
※この旅行記のはじめからご覧になられたい方は、こちらへどうぞ♪→ノルマンディーのさまざまな顔

またまた、楽しい歴史の授業のお時間です。
昨日の授業の出席率は悪かったようで...(笑)。
まぁね~、ヨーロッパの歴史となると本当に複雑だもんね。
今日もできるだけ簡潔にまとめることにしましょう(本当か?!)。

ノルマンディーの首都Caen カンから、西へ30kmほどいったところにBayeux バイユーという
中世の街がある。
f0099556_1822459.jpg

「バイユーに行くなら、是非『タペストリー』は絶対に見なきゃだよ!」と歴史好きな友達にすすめられた。「バイユーのタペストリー」ってなんだ?
タペストリーとは、刺繍で描かれた絵のこと。まぁ、せいぜい5m四方くらいのものなのかなと想像していた。バイユーの観光案内所へ行って地図をもらい、Tapisserie de Bayeuxという標識を辿って歩くこと5分、1つの美術館があらわれた。このタペストリーだけに、なんとまるまる1つの美術館が設けられている。実はこのバイユーのタペストリーは、ギヨーム2世が11世紀にどのようにしてイギリス王になったのかの歴史をつづった、全長70mもある巨大タペストリーだったのだ。それでは、まずはこのタペストリーに描かれている物語をベースに約950年前にタイプスリップ!

7代目ノルマンディー公・ギヨーム2世の背景は昨日お話しましたね~。
みなさん、ちゃんとおぼえてますか~?
彼の奥さんは誰でしたっけ~?はい、そうです。父方の祖母を通してイギリスのアルフレッド王の子孫であったマチルダでしたね~。彼らが結婚した1053年、イギリスではエドワード懺悔王と呼ばれる人がイギリスを統治しておりました。彼はもともと修道士でもあったため、結婚はしたものの息子はもうけなかったことから、後継者問題があがります。彼の血縁をあたっていくと、なんとこの7代目・ギヨーム2世が後継者候補としてあげられたんですねぇ。というわけで、それを伝えるためにエドワード懺悔王は妻の兄ハロルド2世を使者としてノルマンディーに送ります。ハロルド2世がギヨーム2世に会えるまで色々とまた物語がありますがそれは省くとして(笑)、やっとギヨーム2世に出会えたハロルド2世は、当時起こっていた内戦でギヨーム2世をサポートし、その活躍を讃えられます。そして、将来ギヨーム2世がイギリス王として後継することを承認する誓い(整骨の誓い)を神聖な教会で行わされるのです。

イギリスに戻ったハロルド2世は、その報告をエドワード懺悔王にしたが、何故かエドワード懺悔王の死後、議会の決定でギヨーム2世ではなくハロルド2世がイギリス王として戴冠することに。時にして1066年。まず、これに対して怒りを示したのがハロルド2世の弟トスティ。そして紛争を起こしたが、見事にハロルド2世の軍隊によって撃破された(スタンフォード・ブリッジの戦い)。
もう一方でハロルド2世の戴冠に憤りを示したのが、もちろんギヨーム2世。忠誠を誓ったくせにあんにゃろ~!!!となり、イギリスに攻め込みます。これが「ヘースティングの戦い」とよばれ、ギヨーム2世がハロルド2世を撃破します。結局エドワード懺悔王から後継者として任命を受けていたことと、ハロルド2世が自分への忠誠を誓っていたという主張をもとに、議会は受け入れざるを得なくなり、1066年12月25日(クリスマス!)に、ギヨーム2世がウィリアム1世として、イギリス王に即位したのでした。このことから、ウィリアム1世は「William the Conqueror ウィリアム征服王」、このヘースティングの戦いは「ノルマン・コンクエスト」とよばれ、イギリスのノルマン朝による統治がはじまったのだ。結局、このノルマン・コンクエスト後、イギリスは外国軍から征服されることはなく、その後王家は全てウィリアム1世の血を受け継いだのでした。
これで、何故ノルマンディー出身のウィリアム1世(ギヨーム2世)が、イギリスと縁が深いかお分かりになりましたか~?
そんなこんなで、このタペストリーが展示されている美術館にはイギリス人がいっぱい!!!
無料のオーディオガイド(日本語あり)を聞きながら、70mのタペストリーを観賞します。
当然ながらタペストリーは撮影禁止。更にご興味がある方は、リンクサイトへどうぞ(タペストリーの写真つきで1つ1つ丁寧にお話が説明されています。→詳しくはこちらへ
後からこのタペストリーには「ハレー彗星」が描かれていることも分かりました。

ただ、ここであがる疑問が。
このタペストリーは、何故イギリスではなくバイユーにあるの?
実は、このタペストリーはギヨーム2世の異父弟であるオド司祭の命令で作らせたものだったらしく(もともとは、マチルダ王妃の命令で作られたと言われていたが、色々な文献からオド司祭によるものという説のほうが最近では強いとか)、バイユーの大聖堂内に展示されていたものだったため。
f0099556_18595622.jpg

そんなわけで、ギヨーム2世側から見て都合が良いお話として描かれていることはお察しがつくかと....。実のところ、ハロルド2世がギヨーム2世に忠誠を誓った(整骨の誓い)のも、ギヨーム2世に脅されてナイフを首に突き刺さされながら無理やり誓わせられたというのが真実らしい(笑)。でも、当然そんなことはタペストリーには描かれておりません、はい。
面白いね、歴史って。正しい歴史を理解するためには、色んな立場からの記録や文献を見なきゃいけないね。偏った見解は、いけません(笑)。

さぁて、カタカナ名ばっかりの歴史はここまでにしておきましょう。
でも、歴史のお勉強はもうちょっとだけ続きます。がんばって、ついてきて~!
実はこのBayeux バイユー、そして昨日ご紹介したCaen カンは、
近代の中でも忘れてはならない歴史があります。
ノルマンディーの旅行記の最後を飾るのは、戦争とノルマンディーについてですぞ~。


フランスの風が届いたら、応援クリックお願いします♪
[PR]
by kanabo73 | 2007-08-24 19:32 | フランスの田舎
<< 戦争とノルマンディー イギリスとノルマンディー >>


愉快なフィリピン人夫と2008年7月に生まれた娘と一緒にのんびりパリ暮らし。フランス生活・旅行情報満載!
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
ブログ読者の皆様へ
コメントはお気軽にどうぞ!尚、このブログの文章及び写真の著作権はKanaboにあります。無断転用・転載はお断りします。いたずらコメント・トラックバックなどは、予告なく削除させていただきますのでご了承下さい。
パリ情報便利サイト
ライフログ
いまパリ何時?
カテゴリ
タグ
以前の記事
検索
お気に入りブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
その他のブログ