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前回の日記でもご紹介したように、Salzburg ザルツブルグはかの有名な作曲家モーツァルトが
生まれた地であります。
彼の生家は、今は美術館として公開されている。
モーツァルト一家はこのアパートの2階に住んでおり、
1756年に生まれたモーツァルトは幼少時代から父による英才教育を受ける。
彼が3歳の頃から弾き始めたピアノも、この美術館に展示してある。
残念ながら館内は撮影禁止。それを知らずに撮った写真。ブレてはいますが、
なんと、モーツァルトの
手書きの楽譜でございます。
もちろんこの写真を撮った後に、「NO PHOTO PLEASE !!!」と注意を受けました、笑。
それにしても、なんとモーツァルトは最初の曲の
5歳で作曲しているって.....。
どんな脳をしていたのでしょうか。
中でも展示品で笑えたのが、
「モーツァルトの髪(?)」。
はてなマークがついているので、もちろん確かじゃないのだろうけど。
「モーツァルトの髪入り指輪」なんてものもありました、笑。
誰がつけるんじゃ~!!!!!
ザルツブルグの大司教の宮廷にてオルガニストとして働いていたモーツァルトだったが、
大司教との衝突により解雇され、25歳で
音楽の都・ウィーンへ移る。
その頃のウィーンは、ハプスブルグ王朝の帝都でもあり、ここからヨーロッパ数カ国を統治していた。こちらは、
ハプスブルグ家の居城;ホーフブルグ宮。
それはそれは巨大なるお城。ハプスブルグ家がいかに勢力があったかわかる。
当時、皇帝をはじめ、多くの貴族が音楽家たちのパトロン役を務めていたこともあり、世界各地から音楽家たちが集まり、音楽の都としての土台がつくられていった。モーツァルトをはじめ、シュトラウス(ウィーン生まれ)、ベートーベン、シューベルトなどなど、ウィーンほど数多くの有名音楽家が
住んだ街はない。
こちらは、ウィーンのオペラ座。
年に1回行われる「舞踏会」は、ここで行われる。優雅な世界だこと~♪
ここでは、数多くの名音楽家たちが音楽監督として指名されてきているが、
2002年からはあの小澤征爾が就任していることをご存知の方は多いと思います。
モーツァルトは、音楽家としての収入は充分に受けていたにも関わらず、賭博好きであったことも有名で常に財政難に陥っていたらしい。なのでウィーン市内でも、合計13回引越しをしている。
その中で唯一残っている家が、これまた美術館として一般公開されている。
この他に、モーツァルトが挙式をあげたオーストリア最大のゴシック様式の教会;シュテファン寺院や、彼が最後に作曲した曲「レクイエム」を披露したサン・ミッシェル教会なども周ったり。
さて、せっかく
音楽の都・ウィーンに来たのだから、クラシック音楽を楽しみたいねという話になった。でも、ウィーン・フィルハーモニー・オーケストラの演奏会なんて、1年前から予約はいっぱいと言われている。そんなところに、観光客にはピッタリのものを発見!
Sound of Vienna
ワルツを生み出したことで有名なシュトラウスが実際に演奏会を開いた場所としても知られているサロンで、ウィーンで名高いサロンオーケストラ「アルト・ウィーン」によるシュトラウスとモーツァルトの名曲の演奏とともに、バレエ・オペラ・ウィーンの民族踊りなど一気に楽しめるという。
観光客にはピッタリ!サロンコンサートなんて、まるで貴族婦人になった気分?!
小さい頃はクラシック音楽があまり好きではなかった私。
しかし、私の父はクラシックが大好きである。
毎・日曜日には、朝起きるとクラシック音楽がリビングルーム中に流れ、そんな中でブランチを家族で食べるのが習慣だった。30代に入ってから、知らず知らずにクラシック音楽を聴くことがが心地よいリラックスにつながっていった。
音楽の都・ウィーンで、サロンコンサートを目を閉じながら聴き、
やさし~気持ちになっていく自分に気づいた。
クラシック音楽って、やっぱりいいな~♪
こうして、たっぷり音楽の世界にひたったオーストリア旅行だったのです。
さてさて、次の日記ではちょっとだけ
「オーストリア料理」についてのお話を。
お楽しみに♪
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